2026.09.11
35歳にして突如クリエイターになることを誓い、行動に移し、夢をかなえたという異色の経歴を持つTAKUROMANさん。クリエイターを目指す波乱万丈な日々の中で学んだ、クリエイターとして生きていくために必要なノウハウをお届けするのが、当コラム「35歳からクリエイターの夢を実現!TAKUROMANから学ぶセルフマーケティング術」です。
ヘルニアの痛みに耐えたどり着いたニューヨーク。“NFTNYC”の壇上で語った「1000年後に残る作品」と「友達をつくること」の価値とは。(リード文=MetaStep編集部、本文=TAKUROMANさん)
【連載一覧】35歳からクリエイターの夢を実現!TAKUROMANから学ぶセルフマーケティング術
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Web3・メタバースの実装を進める『MetaStep』
前回は、ニューヨークへ発つ1ヶ月前にヘルニアで救急搬送された話と、そこから「人の心に寄り添うことしかできない」と考えるようになった経緯をお伝えしました。
今回は、足を引きずりながらたどり着いたニューヨークで、実際に何を話し、何が起きたのかをお伝えします。
先にお伝えしておくと、これから出てくるのは2023年のNFTの話です。当時は市場が最も熱かった時期であり、今から振り返れば、すでに一巡した過去の出来事に見えるかもしれません。
けれど今回お伝えしたいのは、NFTそのものの話ではありません。
盛り上がっている場所に身を置いたとき、そこで何を掴み、波が引いたあとに何が残るのか。
これは、技術トレンドの波がNFTからAIに変わっても、その次の何かに変わっても、同じように起こることだと思っています。実際に僕自身、そのあとまったく違う場所へ移ることになりました。
たまたま僕の場合はNFTだった。そういう事例として読んでいただけたらと思います。
腰痛にたえながらニューヨークの会場に到着
NFTNYC 2023では何を話すか、ずいぶん迷いました。
最終的に選んだテーマは、「アーティストはいかにして日本のNFTコレクター増加に貢献できるか」というものでした。
理由として、当時の日本には、NFTに取り組むクリエイターがたくさんいましたが、買う側であるコレクターは、それほど多くなかったからです。
つくる人ばかりで、買う人が少ない。エコシステム、つまり生態系として見たときに、これは健全とは言えません。作品が売れなければクリエイターは続けられませんし、続けられなければ良い作品も生まれなくなります。
自分たちの活動の土台そのものが痩せていく可能性がある。その危機感を、世界最大級のNFTイベントで話したいと思ったのです。
これはクリエイター全般に言えることかもしれません。自分の作品をどう売るかを考えるのは当然ですが、自分が立っている市場そのものが育っているかどうかは、意外と見落とされがちです。
スピーチの様子
スピーチでは、僕自身がNFTのどこに惹かれているのかを2つに絞ってお話ししました。
1つめは、作品が100年後、1000年後まで残ること。
これは第7回でお話しした「千年の戯れ」というコレクションのテーマそのものです。個人が作品を残し、いま誰が持っているのか、誰から誰に渡ったのかまで追跡できる。このことは革命的だと思っています。
そして壇上では、この点についてひとつの問いを投げかけました。
もし作品の価値が毎年1%ずつ上がっていったら、1000年後には2万倍になります。投資として、悪くないのではないでしょうか。
当時のNFT市場は、1万点規模のジェネラティブコレクションが次々とリリースされ、価格が短期間で何倍にも跳ね上がっては急落する、という状況でした。熱狂の只中です。
短期間で乱高下し、悲しいかな、最後に誰かがババをつかむもの。一方、1000年かけて、着実に上がっていくもの。
どちらがいいのでしょうか。
これは冗談で言ったのではありません。1000年後に受け取るのは、たしかに自分ではない。それでも、その時間軸で作品を考えることはできるはずだと、本気で思ったのです。
2つめは、クリエイターとコレクターが、ひとつのチームになれること。
これは実体験です。僕の作品を購入してくれたコレクターの方が、自分でイベントを開き、僕のフィジカルプリントを展示してくれたことがありました。僕のことをもっと多くの人に知ってもらい、作品の価値を高めるために、です。
そのイベントには多くの方が来場し、そのうちのひとりが後日連絡をくれました。僕のNFT作品を買ってくださり、そこから関係が生まれたのです。作品を買った人が、次の買い手を連れてきてくれる。とても嬉しいつながりです。
そしてスピーチの最後に、僕はこんな話をしました。
NFTには様々なユーティリティ(有用性)があると言われます。会員権になったり、特典がついたり。けれど僕が一番のユーティリティだと思っているのは、友達ができることです。
誰かがあなたの作品を見て、そこに込めたコンセプトやメッセージを受け取ってくれる。そこから会話が生まれ、友達になる。
ここで「友達」の定義を少し広げてみます。友達とは、自分を理解してくれる人のことだと考えてみるのです。
もし、1000年後の誰かがあなたの作品を見て、そこにあるメッセージを理解してくれたなら、その人はあなたの友達であり、ソウルメイトだと言えるのではないでしょうか。会うことは永遠にできないのに、確かにつながっている。
もしかすると1000年後の相手は、人間ですらないかもしれません。AIかもしれない。そこはわかりません。
少しロマンチックすぎる話で恐縮です。でも、どうかお許しください。僕の名前「TAKUROMAN」は、「ロマンチック」から来ているのですから。
作品が売れるのは、もちろん嬉しい。けれど僕は、NFTを通じて友達ができたときの方が、もっと嬉しいのです。
そう話して、壇を降りました。
スピーチが終わったあと、司会の方が「彼はとてもクールな名刺を持っているから、ぜひ話しかけてみて」と言ってくれました。
実は会場で僕が配り歩いていたのは、名刺だけではありません。前回お話しした「Hernia & Peace」のステッカーです。ヘルニアであることを、車の「赤ちゃんが乗ってます」のようにユーモラスに掲げるステッカー。そんなに真面目な商談ツールではありません(笑)。
会場に貼り付けた「ヘルニア」ステッカー
ところが、これを配っているうちに、ちょうどNFTマーケットプレイスを立ち上げようとしていた会社の方々と話が弾みました。そしてその流れで、僕をコラボレーションアーティストとして取り上げてくれることになったのです。
用意していた作品資料でも、練り上げた自己紹介でもなく、腰痛のステッカーがきっかけでした。
「友達をつくることが最高のユーティリティだ」と壇上で話した直後に、まさにそれが起きたわけです。何がきっかけになるかは、本当にわからないものです。
空き時間に歩いたニューヨークの街
一方で、うまくいかなかった話もしておきます。
ニューヨークでは、他のNFTコレクションを手がけるアーティストとも知り合いました。意気投合し、一緒にコラボ作品をつくろうという話になり、実際に制作も始めました。
しかし、その企画は途中で止まりました。
理由は単純で、NFTの波が一段落したからです。市場の熱が引くと、周辺で動いていた企画も自然と止まっていきます。特に対立もなく、ただ静かに立ち消えました。
ただ、なくなったのは企画の方だけで、その人との関係は今も続いています。
会場ではTAKUROMAN作品も展示されました
ここからが、冒頭でお伝えした「波が引いたあと」の話です。
NFTNYC 2023は、市場が最も熱かった時期の開催でした。そこから熱は、少しずつ下がっていきます。
僕自身は、デジタル作品に一点ものの価値を与えられるという一点に惹かれていたので、投機の波そのものにはあまり関心がありませんでした。ただ、その熱があったからこそ人が集まり、価格がつき、企画が動いていたのも事実です。再構築を迫られた企業やクリエイターは、多かったと思います。
諸行無常、驕れる者は久しからず、とはよく言ったものです。
僕は年齢的に、ウェブ1.0から2.0の時代を見てきました。2000年代、ウェブデザイン会社はこの世の春を謳歌していました。オープンカーを乗り回し、業界の集まりでも勢いのある会社は実に堂々としていたものです。
しかし数年後、そうした会社の多くが倒産したり、大企業に買収されたりしていきました。新しい業界も、競争が激化しコモディティ化が進めば、本当に強い者だけが残る世界になります。
2021年に急成長したNFT市場が2〜3年で失速し、多くのマーケットプレイスが消えていったのも、同じ景色のように思います。
そして当時、NFT市場で積極的に活動していたクリエイターの一部は、新たなトレンドとして浮上してきた生成AIによるアート作品制作へと移っていったのです。NFTはある種、その時代の最先端であったわけで、技術好きの人が別の新しい技術に移ることは本来自然なことでもあるのです。
その流れの中で、僕は少し違う選択をしました。
当時、AIアートにどうしても興味を持てなかったこともあり、あえて逆を行こうと考えて、二胡という伝統楽器を始めたのです。
デジタルアートは、AIが簡単に生み出せるようになります。けれど楽器は、一朝一夕には上手くなりません。そこに価値があると感じました。
もうひとつ理由があります。デジタルアートの世界で、遅くに始めながらも自分らしさをどう打ち出すかを考え、認知度を上げてきた経験がありました。その経験は、楽器でも活かせるはずだと思い、実験をしてみたくなったのです。
毎日のようにSNSに演奏動画をアップし、始めてから100日目に、歌舞伎町で路上ライブを敢行しました。当然、上手くはありません。
けれどそこで、「ヘタな方が、むしろ人に感動と勇気を与えられる」という切り口を見つけました。上手い演奏は世の中にいくらでもありますが、始めたばかりの人が人前で弾く姿には、別の何かが宿る。それを一種の表現として伝えるようにしました。
二胡奏者でそれをやっている人は、おそらくいません。だからこそ、独自性があると感じたのです。
こうして振り返ると、セルフブランディングで大事なのは、周りの環境を見渡した上で、自分の芯をどこに置くかだと思います。
いつも上がり続けることはできません。トレンドがあるからです。けれど、トレンドが上下しても、変わらない自分がある。その時々の状況で、自分の何を変えずに、何を変えるのか。その見極めが重要です。
僕の場合、芯は「表現し、伝えること」です。変えられるのは、その手段やメディアの方でしかありません。だからデジタルアートが二胡に変わっても、伝えたいことは変わっていない。「遅くからでも、いつからでも始められる」ということと、「表現の手段は無数にあり、あなたは自由である」ということです。
セルフブランディングとは、変わらない芯を持つこと。マーケティングとは、その時々のトレンドに応じて、手段や媒体をチューニングすること。そう整理できるかもしれません。
第7回で、僕は「どの波に乗るかが重要だ」と書きました。今もそう思っています。ただ、それだけでは足りませんでした。
波は必ず引きます。引いたあとに何が残るのか。
これはNFTに限った話ではありません。今この瞬間、AIの周りに集まっている人たちにも、いずれ同じことが起こるでしょう。
ニューヨークで僕が話したのは、結局そういうことだったのかもしれません。作品が売れることより、友達ができることの方が嬉しい。市場が冷えても、その人たちはいなくなりません。
残るのは、芯と、人です。
今回は、ニューヨークの壇上で話したことと、その後トレンドが移り変わる中で、僕が何を変え、何を変えなかったのかについてお伝えしました。
次回は、そこから今に至るまでの話です。
作品をつくることに加えて、セミナーで話したり、書いたりする機会が増えてきました。つくる側であり、語る側でもある。手段は変わっても、伝えたいことは変わっていません。そこで何が起きたのかをお伝えしたいと思います。
(第11回へつづく)
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