教育現場のWeb3・メタバース活用事例を紹介する当連載。今回ご寄稿いただいたのは、第1~2回につづき、生徒主体でXRやメタバースのプロジェクトを進める、鹿児島県の鳳凰高等学校(以下、鳳凰高校)。
今回のテーマは、子どもたちの学習における「大人の在り方」。
PCやVRゴーグル、生成AI――。探究学習の現場には、子どもたちの好奇心を刺激する最新技術が次々と入り込んでいる。一方で大人は、「遊びで終わってしまわないか」「もっと細かく教えた方がいいのではないか」と、つい先回りして口を出したくなるものです。
では、大人はどんな言葉をかけるべきか。何を与え、何を見守るべきなのか。鳳凰高校の中村太悟先生の実践には、その問いを私たち自身へ投げ返すヒントが詰まっています。それは学校教育に限らず、部下や後輩、地域や家庭など、社会の中で誰かを支える立場にあるすべての大人に通じるメッセージでもあります。 (リード文=MetaStep編集部、本文=鳳凰高校 中村太悟先生)
※これまでの寄稿記事もぜひご覧ください
“自分たちでつくる”XRプロジェクト遂行の熱意~【連載】教室を飛びこえて
子どもの創造力を、プロがつなぐ~【連載】「教室を飛びこえて」第2回

希望が丘学園鳳凰高等学校
中村 太悟 先生
理科担当教員。生徒主体の活動を重視し、地元の資源を活用したプロジェクトを推進する。観光教育や海洋教育等に携わり、教育実践研究論文で優秀賞を受賞。近年は深海魚を活用するなど多彩な教育実践を展開している。サイエンスクラブ顧問として生徒の実行力や成長を支えている。
探究学習において、生徒たちのプロジェクトが具体的に始まると直面する課題があります。
それは「本来の目的を見失ってしまう」ということです。
たとえば、前回の記事でも書かせていただいたメタバース上に架空の都市を作る「架洲™プロジェクト」でも、いつの間にか「もっとカッコいいデザインにしたい」「建物の内装をこだわりたい」と、目の前の作業そのものが目的化してしまうときがやってきます。
熱中してパソコンに向かう生徒たち
しかし、これは生徒たちに限った話ではありません。
私たち大人であっても、日々の業務やプロジェクトに没頭するあまり、「そもそも誰のために、何のためにこれをやっているのか」という大事な原点を忘れてしまうことは多々あります。大人ですらブレてしまうのですから、経験の浅い生徒たちが軌道から外れてしまうのは当然のことと言えます。
このとき周囲の大人が担うべき役割は、無理やりハンドルを奪って軌道修正することではありません。
関わる大人からアドバイスをもらう生徒たち
「その機能は、最初に決めたターゲット層にとって本当に必要なものかな?」「私たちが一番伝えたかったメッセージは何だったっけ?」と、常にプロジェクトの本来の目的を指し示し、問いを投げることです。
彼らが自らの現在地を客観視し、自分たちの力で「あ、いけない、目的からズレていた」と気づけるように促す。
大人は決して答えを与えるのではなく、迷ったときにいつでも見上げることができる「羅針盤」として存在し続けることが求められます。
チームでのプロジェクトが進み、活動が本格化するほど、生徒たちはあるハードルにぶつかります。
それは単なる意見の衝突ではなく、「自分の頭の中にある鮮明なイメージを、うまく言葉にして相手に伝えられない」という、コミュニケーションの壁です。
自分の頭の中には明確な完成図があるのに、語彙力や表現力が追いつかず、チームメイトや大人たちに意図が伝わらない。この情報共有のハードルは、時に生徒たちの自信を奪い、プロジェクトの歩みを止めてしまう原因にもなってしまいます。
Meta Quest3を活用してイメージを共有する様子
大人がまずすべきことは、「なぜ伝わらないの」と急かすのではなく、「自分のアイデアを言葉にするのは、本当に難しくて悔しいよね」と、その感情に寄り添い、心理的安全性を確保してあげることです。
さらに、その壁を乗り越えるための「道具」を手渡すことも重要です。架洲プロジェクトにおいて、その画期的な道具となったのが「Gemini」などの生成AIでした。生徒たちは、頭の中にある曖昧なイメージや断片的なキーワードをGeminiに入力します。
大人がまずすべきことは、「なぜ伝わらないの」と急かすのではなく、「自分のアイデアを言葉にするのは、本当に難しくて悔しいよね」と、その感情に寄り添い、心理的安全性を確保してあげることです。
さらに、その壁を乗り越えるための「道具」を手渡すことも重要です。
架洲プロジェクトにおいて、その画期的な道具となったのが「Gemini」などの生成AIでした。
Geminiを使いこなし話し合いに活用する様子
生徒たちは、頭の中にある曖昧なイメージや断片的なキーワードをGeminiに入力します。するとAIは、それを整理された文章や、目に見える画像として出力してくれます。この「可視化されたイメージ」がチームで共有された瞬間、それまで噛み合わなかった対話が、「そうそう、こういう雰囲気にしたい!」「ここをもう少しこう直せない?」と、一気に具体性を帯びて動き出します。
生成AIが、生徒の頭の中と現実世界、あるいは生徒同士を繋ぐ「共通言語」として機能したのです。
大人の役割は、できないことを責めるのではなく、こうした最新のテクノロジーを含めた「翻訳ツール」を提示し、彼らの表現の幅を広げてあげることにあると考えています。
生徒たちの探究を支える上で、大人が試されるもう一つの場面があります。それは、生徒から「大人の想定外のアイデア(遊び心)」が飛び出してきたときです。本校のサイエンスクラブが取り組んだ「深海魚ゲーム(XR)を活用した海洋教育コンテンツ)」の開発を例に挙げます。
ゲーム開発を行う生徒とそれを見守る教員
生徒たちは、次々と流れてくる深海魚を仕分けるというゲームを考案したのですが、なんと「ベルトコンベア」で魚が流れてくる仕様になっていました。
実際の漁港の仕分け作業は手作業が中心であり、ベルトコンベアなどは存在しません。
さらに「低確率で『黄金のタカエビ』が流れてきて、仕分けると流れてくる深海魚の量が爆増するフィーバータイムに突入する」というギミックまで実装されていました。
「教育コンテンツだからリアルに作らなきゃ」と、大人はつい事実に基づいたアドバイスをしたくなるかもしれません。
出てきたアイデアをすぐに試す生徒
しかし、ここで大切なのは、彼らから飛び出してきたこうした遊び心に対して、まず大人が「それ、めっちゃいいね!」と全力で面白がり、肯定するスタンスを持つことです。
「黄金のエビ、すごくワクワクするね!」「ベルトコンベアで流れてきたら絶対焦って面白い!」と大人が肯定から入ることで、生徒たちは「自分たちのアイデアが認められた」と安心し、さらに自由な発想をどんどん出してくれるようになります。
そして、彼らの熱量が高まったタイミングで、「じゃあ、その面白いギミックを、どうすれば深海魚について学ぶ仕組みに結びつけられるかな?」と問いを一つだけ乗せるのです。
まわりの大人が生徒の遊び心を肯定し、そこから目的を達成するための手助けをすることで、彼らの作品は体験者を夢中にさせる「遊んで学べる」ゲームへと深化したのです。
探究学習を「学校の中のよくできた発表会」で終わらせず、社会の中で機能する本物のプロジェクトへと昇華させるためには、外部との接続が不可欠です。
本校の取り組みでも、架洲プロジェクトのメタバース都市構想を現実のまちづくりとリンクさせるため、市役所の方々など地域社会と対話する機会が生まれました。
しかし、ここで大人がただ「さあ、市役所の人と話しておいで」と背中を押すだけでは、プロジェクトはうまく回りません。
迷いながらも作業を進める様子
高校生たちの言葉は、情熱的で自由ですが、時に現実離れしていることもあります。一方で、行政や地域の方々は「実現可能性」や「公共性」といった現実的な制約の中で生きています。
この両者がいきなり対話しても、すれ違ってしまうのは当然です。
そこで必要になるのが、教室と地域を繋ぐ「翻訳者」としての大人の立ち回りです。
先生やコーディネーターとなる大人は、裏方として市役所とこまめにコミュニケーションを取り、「生徒たちは今、こんな突飛なアイデアを出していますが、これは地域のこんな課題解決に繋がるはずです」と、彼らの情熱を社会の文脈へと翻訳し、地ならしを行います。
地域のイベントで自分たちが制作したゲームを体験してもらう様子
また、深海魚ゲームであれば、完成したものを地域の小学生や一般の方に実際に体験してもらう「場づくり」も大人の役割です。
生徒の言葉を社会に届けやすくし、社会からのフィードバックを生徒が受け止めやすい形に変換する。
この「見えない橋渡し」があって初めて、生徒たちは地域というリアルなステージで活躍できるのです。
ここまで、大人たちの様々なサポートの在り方について述べてきましたが、根底にあるべき姿勢は一つです。
それは、「先回りして、生徒たちの『転ぶ権利』を奪わない」ということです。
大人は経験がある分、プロジェクトの落とし穴がすぐに見えてしまいます。「このまま進めたら市役所で厳しいことを言われるぞ」「実際の漁港と違うと指摘されるぞ」と分かったとき、つい「こう直しておきなさい」と最短ルートを教えたくなります。
しかし、それをやってしまえば効率は上がっても、それが本当に生徒たちのためになるのかは疑問です。
水族館でのイベントを終え、笑顔を見せる生徒たち
うまく言葉にできずに悩み、社会の壁にぶつかって悔しい思いをし、AIや大人の助けを借りながらもう一度立ち上がる。一見、遠回りなプロセスの中に「リアルな学び」が存在すると考えています。
私たちが探究を通して育てたいのは、大人の指示通りにミスのない成果物を作れる生徒ではありません。立場の違う他者と粘り強く対話し、自分のこだわりと社会の制約の間で、単なる妥協ではない「納得解」を見つけ出せる人であり、困難から逃げずに、ツールや周囲の力を借りながら、現状を少しでも良くしようと行動できる人です。
探究の時間にアイデアを共有する様子
そのような人間を育てるためには、伴走する大人たちにも「待つ勇気」が必要です。
答えを教えるのは簡単です。
しかし、ぐっと堪えて、彼らが自分たちで答えを掴み取るまで、ともに悩み、時に一緒に頭を抱える。そんな大人の伴走こそが、生徒たちの未来を切り拓く原動力になるのだと、私は信じています。(つづく)