大分県などに生息する、環境省レッドリストにも掲載される希少なサンショウウオの一種「オオイタサンショウウオ」。彼らのような生き物が自然な状態で暮らせるように整備された小規模な生息環境「ビオトープ」について、東京赤坂にある山脇学園中学校・高等学校の生徒たちは研究をすすめています。
ただ、ビオトープの立体的な構造や生き物の動きは、スライドや写真だけではなかなか伝えきれません。そこでメタバースプラットフォーム「cluster」上でビオトープを再現するプロジェクトがスタートしました。
「3DCG制作ソフトのBlenderも、開発エンジンUnityも未経験だった」という、同校の吉川諒先生に、着想から現在の進捗、そして生徒たちとの向き合い方について伺いました。(リード文・編集=MetaStep編集部、本文=クラスター 佐久間楓さん)

山脇学園中学校・高等学校
吉川諒先生
修士(医科学)。数学検定1級保有。 予備校および中高での数学科教員を経て、本年より山脇学園にて情報科を担当。プレゼンテーション技法、データサイエンス、メタバースの指導も手がける。これまでの数学科での指導経験や医科学における知見を踏まえ、情報科の教育活動に取り組んでいる。

山脇学園中高の有尾類(※)研究室では、生徒たちがオオイタサンショウウオの生態を継続的に研究しています。その成果発表はこれまで、スライドなどのプレゼンテーション資料やポスターが中心でした。しかし吉川先生は、その形式に限界を感じていたといいます。
※有尾類=ヤモリやサンショウウオなど、尾を持つ両生類
「現地で見る本物のビオトープの立体的な構造や、オオイタサンショウウオのリアルな立体感・移動の様子は、平面の画像や動画だけでは聴講者に伝えきれないという課題はありました」と吉川先生は振り返ります。研究対象そのものの空間性を、体感として理解してもらうこと。それが今回の企画の出発点でした。
そこで着目したのが、メタバースプラットフォーム「cluster」上にビオトープそのものを再現するというアイデアです。「聴講者も発表者も一緒にビオトープ空間の中に入り、オオイタサンショウウオが動く姿を同じ目線で体験する」というスタイルを実現したいという思いが、バーチャル空間活用へと吉川先生を導きます。
従来の発表形式と、バーチャル空間を使った発表とでは何が違うのでしょうか。吉川先生は、聴講者の立場そのものが変化する点を挙げます。
「聴講者が受動的な聞き手から能動的な観察者へと変化し、ビオトープやオオイタサンショウウオに対して圧倒的な親近感や興味を抱いてもらえる」視点を自由に変えながら自分の足で歩き回る感覚を持つことで、遠い場所の珍しい生物ではなく「今そこにいる生き物」として捉えてもらえるようになる、というのが吉川先生の考えです。
この発想は、現地に来られない他校の生徒や保護者、研究者にとっても大きな意味を持ちます。物理的な距離や時間の制約を超えて、「まるで今、一緒に校内にあるビオトープをのぞき込んでいるかのような一体感のある体験」を届けたい。専門の研究者には空間の再現性そのものを評価・助言してもらう場としても機能させたいと、吉川先生は今後の可能性を見据えています。
また、実物の見学とバーチャル空間での体験は、対立するものではなく役割が異なるものだと話します。実物の見学は水の匂いや湿度、生き物の気配を味わう五感の体験。一方でバーチャル空間での体験は、普段は落ち葉の下に隠れて見えない動きを観察できたり、遠方の人と空間を共有できたり、環境データを重ねて理解を深められたりする「視覚・空間学習の拡張ツール」として使い分けていく構想です。

cluster上に再現されたビオトープ
このプロジェクトの特徴のひとつが、吉川先生自身がBlender・Unityの操作経験がまったくない状態からスタートしたことです。
最初はBlenderの専門書籍を購入して一般的な使い方を勉強してみたものの、実際に手を動かす段階では、生成AI「Gemini」に質問しながら進める方が遥かに効率的だったといいます。
ツール上の操作手順や3Dモデル作成のノウハウ、エラーの解決方法を、その都度Geminiとの対話で確認していく。書籍で全体像をつかみ、つまずいたところは生成AIに聞く。このやり方を繰り返すうちに、未経験からでも空間とオブジェクトを組み上げられるようになったそうです。

構想からベース構築、試行錯誤までを含め、ここまでにかかった期間はおよそ2〜3か月。3Dスキャナーで実物の形状や質感を読み取り、3Dデータとして取り込む手順を確立し、Blenderへインポートして加工、最終的にclusterの空間内へ配置するという一連の流れを、生徒たちへの指導と並行して進めてきました。
現在は、開発の第一段階にあたる技術検証を行っているようです。3Dスキャナーでパンダのぬいぐるみを取り込み、Blenderで加工したうえでclusterの空間内に配置することに成功しています。
「実物の質感や毛並みといった細部まで、バーチャル空間内でしっかりと忠実に表現できているかに特にこだわりました。このスキャンと加工のノウハウを土台に、次はオオイタサンショウウオ本体の3Dスキャン、そしてビオトープ全体の空間再現へと段階を踏んで進めていく計画です」(吉川先生)。

一番苦労したのは、ツールの環境構築と専門用語の壁だったそう。Blenderを初めて起動したときは、聞き慣れない用語が並び、何から手をつければいいのか分からない状態。そこで「目的を小さく明確化する」という方針に切り替え。いきなりビオトープ全体をつくろうとせず、まずはぬいぐるみを取り込み、Blenderで加工。そしてバーチャル空間に配置する、という小さな成功体験を積むことで、道筋が見えてきたそうです。
そしてもう一つの発見が、「生徒たちに使い方を指導していくプロセス」そのものが最大のブレイクスルーになったということ。人に分かりやすく説明しようと試行錯誤する中で、自身の理解も圧倒的に深まったといいます。
意欲的に取り組む生徒たちの存在があったからこそ、諦めずにツールを使いこなせるようになった。先生と生徒が同じ地点から一緒に学んでいく、この構図こそが今回のプロジェクトを支えてきた原動力のようです。
このプロジェクトは、2027年3月に予定されている成果発表会に向けて進行中です。会場の大画面にバーチャル空間を投影しながら、現地参加者とオンライン参加者が同じcluster空間に同時にアバターとして入場し、生徒の案内に従ってビオトープ内を散策しながら発表を聞くという形式が構想されています。

この発表会で生徒たちが担うのは、単に原稿を読む発表者としての役割ではありません。バーチャル空間内の「ナビゲーター」および「プレゼンター」として、アバターを操作しながらオオイタサンショウウオの動きを示して解説し、参加者からの質問をその場でリアルタイムに受け付けて応答します。
ただし生徒に求めているのは、Blenderやclusterというツールそのものを完璧にマスターすることではないといいます。大切なのは「それらのテクノロジーを使って何ができるのか」を主体的に考えること。技術の習得をゴールにするのではなく、バーチャル空間や3D表現という手段を、自分自身の探究活動(生徒自身が課題を設定し、調査・考察を通じて学びを深める学習活動)や社会課題の解決、社会貢献にどう活かしていけるかという応用力につなげてほしいという願いが込められています。
今回のプロジェクトは、あくまで第一歩だと位置づけています。今後は単なる空間の再現にとどまらず、「環境変化や課題を体感できるシミュレーション空間」としての活用を構想しているといいます。
たとえば、水質が悪化した場合にオオイタサンショウウオやワラジムシ(落ち葉の下などに生息する小型の陸生甲殻類)の行動がどう変化するのか。現実では実験・再現が難しいこうした環境変化を、バーチャル空間上で可視化したいという狙いです。生徒たちが自ら設定した「問い」や「未来の環境予測」を空間に落とし込み、世界中の学校や研究機関、地域の人々と共有しながら議論できる「開かれた探究学習・教育連携のプラットフォーム」へと広げていきたいと、先を見据えています。
同じようにバーチャル空間の活用を検討している先生方からは「3DCGや専門ソフトの知識がないから、と躊躇する必要は全くありません。大切なのは高度な技術力ではなく、『生徒の学びや研究をより良く伝えたい』『ワクワクする発表の場を作りたい』というアイデアと目的意識です」との力強いお言葉をいただけました。
アバターを介することで不登校の生徒が安心して授業や学校生活に参加できたり、現実では安全上の理由で立ち入れない災害現場を再現して防災学習に活かしたりと、バーチャル空間には従来の教室の枠を超えた実践の可能性が広がっているといいます。
「専門知識がないからと諦めず、ぜひ一歩を踏み出してみてください。先生自身が生徒と一緒に手探りで学び、成長していける素晴らしい領域です」(吉川先生)。

今回の取材で印象的だったのは、吉川先生自身がツールの専門家ではないところから出発し、生成AIを「相棒」のように使いながら、生徒と並走して学びを形にしていく姿勢です。技術の完成度よりも、「何のためにつくるのか」という問いを起点にしていることが、このプロジェクトの推進力になっているように感じられました。パンダのぬいぐるみのスキャンから始まった小さな一歩が、ビオトープ全体の再現、そして環境シミュレーションという大きな構想へとつながっていく過程を、今後も追っていきたいと思います。