三重県南牟婁郡(みなみむろぐん)御浜町。人口約7,700人の小さな自治体が今、デジタル空間において驚くべき熱気を生み出している。
地域の活性化に取り組む一般社団法人ここテラスが公開した体験型メタバース「バーチャル尾呂志(おろし)」が、公開からわずか1ヶ月で町の人口と同規模となる延べ8,000人の来場者を記録したのだ。
農林水産省の事業の一環として制作されたこのコンテンツは、メタバースプラットフォーム「VRChat」上で、米作りから米粉パンへの加工までを一貫して体験できるというもの。「食育」と「地域PR」を掛け合わせたこの取り組みは、過疎化が進む地方自治体がデジタル技術によって関係人口を創出する新たな成功モデルとして注目を集めている。
(引用元:PR TIMES)
2025年12月12日、一般社団法人ここテラスは「バーチャル尾呂志」による大規模集客の成果を発表した。このワールドが支持された理由は、単なる観光地の再現にとどまらず、ユーザーが能動的に楽しめる「ゲーム性」と「学び」を巧みに融合させた点にある。参加者は、地元農家の監修のもと再現されたバーチャルな棚田で、田植え機に乗り込んでコントローラーを操作することによって稲作を疑似体験できる。実際の田んぼの水の音や、トラクターやコンバインといった農業機械の音が収録されており、VRゴーグルを通じた視覚・聴覚への没入感は圧倒的だ。
田植えの様子 (引用元:PR TIMES)
さらにユニークなのが、収穫した米を製粉してパンに加工するまでのプロセスも可視化されている点だ。ワールド内では材料を混ぜて焼くことで米粉パンが完成するミニゲームも搭載されており、「米がどうやって粉になり、パンになるのか」という工程を直感的に学ぶことができる。また、舞台となる御浜町尾呂志地区の観光資源も精巧なデジタルツインとして再現されている。山から霧が滝のように流れ落ちる自然現象「風伝(ふうでん)おろし」の絶景は、訪れるユーザーを魅了。観光目的の来場者を自然な形で「米粉の学び」へと誘導する動線として機能した。
健康志向の高まりによって注目されつつも「使い方が分からない」という声が多い米粉に対して、楽しみながら学べる“体験のしやすさ”を提供したことが、若年層や都市部ユーザーの心を掴んだ要因と言えるだろう。
米粉パン作りの様子 (引用元:PR TIMES)
「バーチャル尾呂志」が叩き出した「1ヶ月で8,000人」という数字は、メタバース活用に懐疑的だった層をも振り向かせるだけのインパクトがある。物理的な距離や人口減少というハンデを背負う地方自治体にとって、いかに地域のファンを増やすかは長年の難題だった。しかしこの事例は、「魅力的な体験」さえ用意できれば、デジタル空間を通じて瞬く間に数千人規模との接点を持てるという事実を突きつけた。メタバースはもはや先進的な実験場ではなく、食育や産業振興といった地域課題を解決するための「実用的なインフラ」へと進化しつつあるのだ。
視線はすでに、このデジタル世界の熱量をいかに現実社会へ還流させるかという点に向けられている。同法人は今後、町内の商業施設でVR体験と実際の米粉パン試食を組み合わせたイベントを開催するなど、オンラインとオフラインを横断した施策を強化していくという。「バーチャルで田植えをして、そのお米で作ったパンを現地で食べる」。そんな新しい観光や消費の形がすぐそこまで来ているのだ。また、このコンテンツを学校での食育授業や都市部での移住PRに活用する計画も進行中だ。子供たちが楽しみながら地域の魅力を知ることは、将来的な来訪や移住への確かなきっかけとなるだろう。
田植えについての解説 (引用元:PR TIMES)
こうした「デジタル体験からリアル行動へ」という流れが当たり前になれば、全国各地の特産品が持つポテンシャルは飛躍的に広がるはずだ。三重県の小さな町が投じた一石は、日本の一次産業と地方経済が生き残るための新たな勝ち筋を照らしている。