35歳にして突如クリエイターになることを誓い、行動に移し、夢をかなえたという異色の経歴を持つTAKUROMAN氏。MetaStep(メタステップ)編集部はTAKUROMAN氏に、クリエイターを目指す学生や若手クリエイター向けコラム執筆を依頼。TAKUROMAN氏がクリエイターを目指す波乱万丈な日々の中で学んだ、クリエイターとして生きていくために必要なノウハウをお届けする本コラムの4回目です。(第1回をご覧頂いていない方は、こちらからご覧ください)
この連載の流れ
前回は、描画技術が劇的に向上することになったできごとについてお伝えしました。今回は、社会人に戻り、仕事をしながらどのように絵を描くことを続けてこられたかについてお話しします。
僕は35歳で一念発起し念願の漫画学校に通ってはいたものの、やってみると自分が2時間以上は絵を描いていられないことに気づき、がく然としました。思っていたこととやってみることは違ったのです。結局、在学中の目標であった24ページものの漫画を描き終えることはなく、出版社への持ち込みにも至りませんでした。こうして漫画学校は修了となったのです。
このまま東京に残り、漫画家を目指す道もあったかもしれません。しかし不思議と漫画学校での1年間、仕事を離れているうちに、仕事もいいものだったと思えたのです。仕事を通じて出会えた人々、仕事そのものに潜む楽しさなどの価値に以前よりは気づけたというか。毎日それに関わっている時はやめたいと思っても、離れてみると良さに気づく。人間とは身勝手な生き物ですね。かくして僕は会社に戻らせてもらいました。(しかしながら、まだ漫画家になることへの未練は十分にありました。)
その後は仕事をしながら絵を描いていくことになりました。といっても、ここからはなかなか大変でした。なぜなら、別に絵を描かなくてもいいのです。仕事でなんらかの成果をあげ報酬を受け取り、生活を楽しむ。日常生活において、それで何が困るというのでしょう。それだけで十分なのです。
それに漫画家になる夢をもって漫画学校に入学したものの、やってみたら自分が漫画家に向いていると思えなかったものですから、この時点で僕には目標がなくなったのです。
しかし、せっかく1年間という時間を費やし漫画学校の先生たちから学んだこと、高桑先生から教わったこと、それらを無駄にしたくはありませんでした。
なので目標は無いものの、とにかく辞めないようにしようと思ったのです。
そこでInstagramのアカウントを開始し絵をアップし始めました。それは2015年1月のことでした。漫画学校を卒業したのは2014年3月でしたから、約10ヶ月後になります。
最初は不定期に描いていました。対象はなんでもよくて、ペットボトルの絵だったり、食べ物だったり。
それまではアナログなGペンや鉛筆を使用していましたが、iPhoneやiPadを使用することで、どこでも描くことができました。
電車での移動中や出張時の飛行機の中、すきま時間を見つけては描くようにしました。出張で訪れる香港や中国でも、景色や料理の絵などを描いたりしました。時には4コマ漫画も描きました。とにかく描き続けるようにしました。
その目的や意味を当時はわかりませんでした。でも「やめたらもったいない」とだけ感じていたのです。
毎回アップする絵は何ということもないものでしたが、インスタにアップすると、いいねやコメントをもらえて励みになりました。そのような一見小さなことで続ける力になりました。
「1日1個以上は描く」と決めて、とにかく続けました。そのうちに転機が訪れたのです。
2017年10月、以前から行きたいと思っていたロシアを訪れる機会がありました。
そこでさまざまな美しい街並みや工芸品などにふれ、現地の人々とも関わりました。
約9日間の旅を終えて帰国後、絵の描き方が突然変わったのです。
その後、新たな描き方でインスタグラムへのアップを続けていたところ、大学時代のテニス部のY先輩から、インスタを通じて連絡があり、絵をプリントして飾りたいとの相談をいただきました。
これまではデジタルだけで完結していた絵を実世界に飾る。そんなことはほとんど考えていませんでしたので、どうしたらデジタルの絵を綺麗にプリントし飾れるのか、いろいろ試行錯誤をしました。最終的には、いろいろ試した中で印刷が綺麗に出る紙と印刷設定を見つけプリントし、シンプルで美しい額をIKEAで見つけ、額装してお渡ししたところ喜んでもらえました。
実は家庭用のインクジェットプリンターでも、ものすごく美しい印刷ができるのです。そのポイントは紙にあります。一般のコピー用などに使われる普通紙はインクが紙に染み込んでしまい、あまり美しく見えないのですが、ひとたびアートの専門用紙で適切な設定をおこない出力すると、まるで違うものが出てきます。それもそのはず、アートの世界で版画を作る時に使われるジークレーという手法は、実は高精細なインクジェットのことなのです。
このできごと以来、飾れる絵は人に喜んでもらえると知り、友人に絵をプレゼントし始めました。Y先輩からも何度か依頼をいただき、Y先輩を通じて知り合いのレストランに飾ってもらったこともあります。(Y先輩のInstagramアカウント:@ysyk.and )
僕がなんとなく描いていたデジタルアートは、アート紙+インクジェット出力+額縁により、現実世界に飾れるアート作品として、日の目を見ることになったのです。
このようなことが大きな励みになり、どうにか「やめずに描き続ける」ことができました。まとめるとこんな感じです。
1.目標はないが、やめるのはもったいないと思い描き続けた
2.続けているうちに独自の描き方になってきた
3.Instagramで発信(発表)を続ける
4.絵を飾りたいという相談をいただく
5.額に入れてプレゼントすると喜ばれモチベーションが上がる
おもしろいのは「最初は目標がなかった」ことです。それでも続けているうちに試行錯誤が生まれ、自分が予想しなかった価値が生まれてきました。
何かを成し遂げようと思ったら、目標を設定し、そのためのタスクを決め着実に進んでいくのが良いという考え方が一般的なように思いますが、僕のやり方はそれとは異なり、続けているうちに何らかの分岐点があり、道が開けてきたという感じです。
その後も変わらず、電車の移動時などに10~30分くらいで絵を描き上げ、インスタにアップすることを続けました。
それはいつしか日課となり、2021年まで続き、気がづくと絵の点数は2000点を超えていたのです。そして僕はついにアーティスト活動を開始したのです。
―つづく―
今回は、仕事に戻ってからいかにして絵を描くことを続けてきたかについてお伝えしました。次回は、2021年、ついにアーティスト活動を開始した経緯と、どのようにしてゼロから仕事を受注するに至ったかについてお伝えしたいと思います。