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2024.11.28

【連載】35歳からクリエイターの夢を実現!TAKUROMANから学ぶセルフマーケティング術(第2回)

35歳にして突如クリエイターになることを誓い、行動に移し、夢をかなえたという異色の経歴を持つTAKUROMAN氏。MetaStep(メタステップ)編集部は、TAKUROMAN氏に、クリエイターを目指す学生や若手クリエイター向けコラム執筆を依頼。TAKUROMAN氏がクリエイター目指す波乱万丈な日々の中で学んだ、クリエイターとして生きていくために必要なノウハウをお届けする本コラムの2回目。今回も中々の波乱万丈っぷりです、どうぞご覧ください!(第1回をご覧頂いていない方は第1回からご覧ください)

この連載の流れ

前回は、本連載の目的と漫画家を目指すと思い至ったまでの経緯についてお話ししました。今回は、漫画学校に入学し、残酷にも知ることとなった衝撃の事実とそこで気づいた発見についてお伝えします。

家族の反応

「仕事をやめ、漫画家になりたい。」

そのように家族や両親に伝えると、「おかしくなったのか、一度病院で診てもらうといい」などと、想像していた以上の反応がありました。自分自身、もしかして本当におかしいのかなと思い、実際に心療内科に行きましたが異常はありませんでした。

さまざまな議論の末、最終的には、子どもの頃からの夢だったこと、今始めないと年齢的に手遅れになりそうに感じていることなどを伝え、渋々に承諾してもらいましたが、「やりたいことに正直になる」ということは、仕事や生活面に大きな変化をもたらすことであり、簡単ではないのだと知りました。

特に、僕はほとんど誰にも自分の夢について話していませんでしたので、驚きが大きかったのでしょう。自分がやりたいと思うことは、小出しにしたほうがいいのかもしれません。

漫画学校選び。スパルタな学校 VSゆるい学校

さて、漫画家になると決意したものの、そのための知識も技術もありません。そこで、体系的に学ぶため、マンガ学校に行くことにしました。いくつかの候補から最終的に東京の2つの学校に絞り込み、見学に行きました。

1件は大手の有名な学校でした。話を聞きに行ったところ、結構スパルタな感じで、いかに漫画家になる道が険しいか、年齢的にも正直厳しいと思うが本当に覚悟があるのか、と言われました。おそらく数々の生徒を見てきた講師から見たリアルな厳しさを伝えてくれたのでしょうが、僕は駅まで歩く帰り道で既に心が折れかかっていた記憶があります。

もう1件は漫画とゲームに特化した小規模の学校でした。この学校は資料請求時から、営業担当の方が電話で丁寧に接してくれて安心感がありました。人によってはセールスの電話のように思えて煩わしく感じるかもしれません。しかし入学者の多くは高校卒業時から通う学校に35歳から通うという、それだけでも引け目を感じている自分にとっては学校から歓迎されている気がして大変ありがたかったのです。まずは漫画家になるための入り口に立ちたい、そのような思いが強かったので、その学校に決めました。代々木の東京ゲームデザイナー学院というところです。(現在は残念ながらコロナ禍の影響か少し前に閉校)

ところで地元の名古屋にもマンガ学校はあります。しかし出版社を回るならやはり東京、と考えたこと、新しい環境で集中できそうに感じたことから東京の学校を選びました。

かくして2013年4月、晴れて東京ゲームデザイナー学院 マンガコースに入学し、東京で一人暮らしを始めました。

東京の一人暮らしの部屋での様子、表情に苦悩が見える?

若い同級生たち

いよいよ漫画学校に入学し、他の生徒たちとともに入学式を迎えました。教室には黒板があり、中学や高校の教室のように机と椅子が並んでいます。学生時代に戻ったかのようでした。

周りはみんな若く、一番多い世代が18~19歳です。次に多い世代は20~22歳くらいで、僕は35歳でダントツの最年長でした。かつて自分が大学生だった頃、学部内にずっと年上の学生がいて、僕はそのような人たちを異質な存在として捉えていましたが、今度は自分がその異質な存在になったのです。きっと同級生たちは僕をそんなふうに最初は見ていたのだと思います。(昨今はリスキリングといって社会人の学び直しが推奨されていますから、そのような環境に行く人も今後増えていくのでしょう)

しかしながら、徐々に同級生の皆は優しく接してくれて、隣の席のKさんは家でとれたという野菜をくれたりしました。

気になる漫画の経験に関しては、全体で30人弱の生徒のうち、ほぼプロ並みの人が3人くらいいました。他の人たちの経験は様々でしたが、全くの初心者も一定数いて安心しました。

教室の様子

授業が開始

授業では、漫画を描く上での考え方や基本技術、デッサン、キャラクターの描き方、プロットの作り方、出版社への持ち込み方法、などをプロの先生から学びます。当時は既にデジタルで漫画を描くことは一般的でしたが、学校では主に手書きの技術の講義が中心で、Gペンの使い方やスクリーントーンの貼り方など、必要な手法を学びました。

マンガの基本技術のひとつにカケアミがあります。背景などに使われるのですが、いくつものバリエーションがあり、学校では毎朝、カケアミの課題を提出する決まりになっており、合格しないと次に進めない仕組みでした。今思えば、デジタル全盛の時代に、そこまでやる必要があったのか謎もあります。しかし基本は基本。できるようになるのは嬉しくて、ペン技術の自信につながりました。

初めて描いたマンガ

入学後しばらくして、2ページのマンガを描くことになりました。それが自分にとって初めて描いた漫画といえます。映画「ミッション・インポッシブル」をオマージュしたもので、オチはなんと下ネタになってしまいました。

それなりに面白いと思っていたのですが、人気投票のため、クラス全員が見られるようになっているので、若い同級生たちに見られて、スケベなやつだと思われないかが気になりました。表現の世界ではそんなことは避けては通れない道であり、気にするべきではないのですが、やはり人の目というのは気になってしまうものなのです。でも、意外にも数票が投じられており驚きました。みんな下ネタが好きなのでしょうか。

やってみてわかった衝撃の事実

入学時から気合いだけは満点でそれなりに頑張っていましたが、驚きの事実が判明しました。それは2時間以上は集中が持たず、絵を描いていられないことに気がついたのです。

漫画家になれば1日中漫画を描くことが多いと思うので、これは手痛い気づきでした。理由として考えられることのひとつは、10年以上の社会人経験で、どちらかというと人と交流する仕事が多かったので、こんなふうに人と会わずに絵ばかり描いていてよいのだろうかという疑問がいつも意識の中に湧いてきたことです。もうひとつは、習慣の問題でしょう。それまでやっていなかったことをいきなり長時間続けるのは無理があるのです。

いずれにしても、少なくともその時点では、1日2時間しか描けない自分が漫画家になるのは無理がある気がして愕然としました。やりたいことに没頭できる幸せな時間のはずだったのですが、どんなこともやってみないとわからないのですね。想像と現実は違うのです。

でも決意して始めた以上、必死でやるしかありません。学校から出される課題を真面目にこなし、最初の頃よりはだんだん描けるようになってきました。

漫画学校の課題で描いたキャラクター

1年間の授業の集大成として、24ページものの漫画を描くことになりました。僕はテニスとビジネスを合わせたような話のラフを描き始めました。ネームは完成したものの、結局下書きは完成しませんでした。ストーリーに関しては、自分ではまあまあかな、という感じでしたが、これを本当に描きたかったのか?は謎です。

ただ、今思えば考えすぎだったのだと思います。素人のうちはわからないことだらけであり、見よう見まねで完成させていくしかないのです。いつしか漫画家になるという夢は、自分の中であまりに重く大きくなりすぎていて、「これが本当にやりたいことだったのか?」という疑問がいつも浮かんできました。悩み出すと思考の迷路に入り込んだかのように行動できなくなります。

例えて言うなら、大きくて重いものを動かす時、大きな力がいりますが、小さくて軽いものなら、軽く押ししただけで動かすことができるように、目の前の課題をあまりに大きく捉えてはいけないのです。

24ページマンガのネームと下書き

同級生たちとの時間

漫画学校で過ごすうち、同級生たちとも次第に仲良くなってきました。一緒に松屋に食事に行ったり、原宿でクレープを食べたり、ゲームセンターに行ったり、朝まで歌舞伎町でカラオケをすることもありました。ちなみに、漫画学校の皆はやはりアニソンが得意でした。当時は進撃の巨人のアニメが始まった頃で、その主題歌なども歌われていました。

歳の離れた友人たちではありましたが、楽しい時間でもありました。あれから10年強の月日が経ち、今では皆30代前後になっていると思います。(それでもまだ当時の僕より若いですが)

クラスメイトたちと

1年間の東京ゲームデザイナー学院マンガコースの修了時、主任の上西園先生が言った言葉が強く印象に残っています。それは、「お前ら、自分の中の萌えを描かなくて何を描くんだ!」というものです。萌えとは、ある種の偏執的なこだわりや美的感覚という意味ですが、それこそが個性であり、エッジであり、偏っているからこそ共感されやすい、ということなのだと思います。僕は最初、下ネタの漫画を描いて恥ずかしいと思いましたが、そんなことはどうでもいいことだったのです。萌えとは、表現者としての本質なのです。

―つづく―

今回は、僕が漫画学校で学んだことと気づいてしまった衝撃の事実についてお話ししました。次回は、描画技術が劇的に向上したできごとと、仕事に戻ってから何をしていたかについてお伝えしたいと思います。