35歳にして突如クリエイターになることを誓い、行動に移し、夢をかなえたという異色の経歴を持つTAKUROMAN氏。MetaStep(メタステップ)編集部は、TAKUROMAN氏に、クリエイターを目指す学生や若手クリエイター向けコラム執筆を依頼。TAKUROMAN氏がクリエイター目指す波乱万丈な日々の中で学んだ、クリエイターとして生きていくために必要なノウハウをお届けする本コラムの3回目。今回はクリエイターを目指す方にはもちろん、そうでない方にとっても人生を考える上での金言が満載です、ではご覧ください!(第1回をご覧頂いていない方は第1回からご覧ください)
この連載の流れ
前回は、35歳で入学した漫画学校でのできごとについてお伝えしました。今回は、描画技術が劇的に向上することになったきっかけについてお話しします。
漫画学校では、漫画の書き方やデッサン技術などを学ぶ一方で、絵の描き方に関する書籍を読み漁っていました。ジャンルは、キャラクターの作り方、人体を正しく描くための美術解剖学、パースの描き方など、さまざまでした。
そんな中、「人体クロッキー」という本に出会いました。
人体クロッキー(マール社)
同書では、流れるような線で躍動感ある人体描画を実現するための方法や必要な美術解剖学の知識が網羅されていました。
僕は著者である高桑真恵氏からどうしても直接学びたいという思いに駆られ、コンタクトを試みたところ、お返事をいただけて、高桑先生の大学へと伺うことになりました。
すると、僕と同じような人がもう一人いました。その方(Mさん)とともに、ありがたいことに先生から指導をいただけることになったのです。
当時描いたもの①
約3ヶ月間の特訓の末、最終的に先生から「もう描けないものはない」と言ってもらえました。
その時は単純に、その言葉通り、技術が向上したことと捉えていたのですが、あとからもう一つの意味として、「想像の枠を広げ、自由に自分自身の表現をすればいい」ということでもあると思っています。
この考え方は本当に価値のあることで、技術がないからできないということではなく、技術に関わらず自分がどう表現したいのか、自分はどう対象を捉えたか、ということが圧倒的に大事なのです。
さらに、表現とは絵の描き方だけではありません。
表現は日常会話に至る全てにおいて誰もが日々おこなっていることですから、このような考え方により世界がいかに広がるか、想像に尽くし難いものなのです。
僕は、高桑先生からまさに一生ものの技術と考え方を教わり、その礎のもと、さまざまな表現をできるようになったのです。
この間、Mさんとは一緒に技術の向上を目指す同士として、デッサンスタジオに行ったり、中野ブロードウェイで情報収集をしたり、目指す姿を語り合ったりしました。技術の習得には苦悩はありましたが、幸せな時間でした。
人は何かに集中している時、幸せを感じるのは、その間は他のことを考えなくていいからでしょうか、前に進んでいることを実感できるからでしょうか。
あるいは夢中になるという状態自体が幸せなのかもしれません。
そのように考えると、人の幸せとは何かを達成することよりも、その過程こそが幸せということなのでしょうか。
―つづく―
今回は、描画技術が劇的に向上することになったできごとについてお伝えしました。次回は、仕事に戻ってから何度も絵を描くことをやめそうになりながらも、どのように続けてこられたについてお伝えしたいと思います。